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知ってほしい創価学会に産まれた子供の率直な感想

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ふとタブーについて考えてみた。タブーといえば宗教の話題がよく挙がると思う。しかし、自分以外の人が強く考える信仰を知ることは良いことだと思うし興味深い。

自分自身のタブーの中心に創価学会があった。なぜなら自分が創価学会員の家に産まれ、現代の環境で育ってきたからだ。だからこそあえてタブーについて思ってることを思い切ってまとめてみた。

 

自分について

  • おそらく産まれた時から両親は創価学会
  • 小さい頃は覚えてないが、中学生ぐらい今に至るまでずっと信仰心は0
  • 高校1年ぐらいまで創価系のイベントに行っていた(後述)

以下の文章は、小さいころから触れてきたの創価学会についての感想です。ネットや本などで得た知識は踏まえていません。

 

自分の友人関係にも関わる

選挙になれば家の前の選挙ポスターが貼られる。いつだかに至っては三色旗(創価学会の旗)が家に建っていたこともあった。(かなり短い期間だった)

今でも鮮明に覚えているが、小学生のころ週5で遊んでいたような友達が家に来てリビングにおいてある池田大作の写真を指刺してこの人誰と言われたことがある。その時は「親のものだから知らない」と答えた。その返し言葉が「よくわからないけど、ファンなんだね」と言われた。その時自分は創価学会というものが世間的に一般でないもの程度の知識はあった。今覚えば知識がない小学生だからこそあの程度の息苦しさで済んだのかもしれない。今でもリビングには創価学会グッズはある。中学から高校は、友達を家に呼ぶときはリビングは辞め自分の部屋のみとなった。

また選挙のたびに「選挙のお願い」が自分の親から友達の親への電話がされたりしていた。その内容とはいたって簡単で「公明党の~さんががんばっているからよろしくお願いします」といったものだ。電話以外でも実際に家に訪問したりなどといったものがある。今から考えるとかなりゾッとすることである。友達の親が子に「~くん(自分のこと)とは遊んじゃいけません」なんてことを言うことが考えられるからだ。おそらく自分の友達はそういったことで減ったことはないと思うが、可能性としては十分に考えられる。中学生ぐらいになってからは親と親どうしの関係が薄くなるからか、また自分への影響を配慮してかそういった自分の友達の親への選挙のお願いはなくなった。

 

新聞配達がブラックそう

母親はおそらく自分が幼稚園ぐらいのころから聖教新聞(創価学会の新聞)の新聞配達を行っている。かなり朝早くに起きて自転車で近くの地域に新聞を配るといったことだ。小さいころにどれくらいのお給料をもらっているのかと聞いたところ、「ほぼボランティアみたいなものだからそんなに貰ってないわよ」みたいなことを言っていた。

また小学生ごろになると新聞の集金業務も行っているようだった。新聞を購読している人の家に行き現金を集金する業務である。聖教新聞に限った話じゃないと思うが、今のご時世で集金とか考えられない。この集金業務もボランティアのようなものだと言っていた。

 

民音とかいう無料営業

民音というのはおそらく創価学会に関係が深いコンサートチケット販売業者である。創価学会員は地域ごとにグループ化されている。母親曰く、そのグループから民音担当者を出さないといけないらしい。民音担当者というのはコンサートチケットを創価学会員や友達等に宣伝する係である。具体的なノルマといったものはないらしいが、担当者に申し訳ないからコンサートに行くといった話も聞いたことがある。実際母親はあまり興味がないコンサートに数千円払って行って寝たらしい。

強制でない点で救いがあるが、こういった商売はどうなのだろうか

 

会合が迷惑

会合というものがある。これは週に何回か誰かの家に集まり、御書(教えの書みたいなの)を読んだり池田大作のビデオをみたりするものである。

今でも自分の家で会合が開かれる。頻度的には週に3回程度ある。厳密には会合ではなく唱題会(みんなでお経を唱える会みたいなの)というものだったりするらしいが、週に3回程度集会を行っている。

これが一緒に住んでいる場合はかなり迷惑だったりする。会合があるときは友達を長居させることはできない。また電話だって会合の音が聞こえないところからしなくてはいけない。

自分が創価学会員の子であることを知らない友達の話でこういったものがある。

自分の家近くで創価学会の集まりが夜な夜な開かれていてお経がうるさくて気持ち悪い。お経だけじゃなくて、帰り際にも話し声がうるさい。

実際にこれはわりと多くあると考えらえる思う問題で、創価学会の人達はもっと配慮をすべきだと思う。

 

広布基金とかいう圧倒的お布施

創価学会には広布基金といったものがある。簡単に言うと金のお布施である。自分の家は裕福でもなくそこまで貧困でもない。どちらかというと貧しいよりである。しかし、いつぞやに聞いた広布基金の額を聞いて驚いた記憶がある。そんなお金をどっかに渡すなら自分たち子供のお小遣いにしてほしいと強く思った記憶もある。

ちなみに自分は二世代以上までのゲーム機のみを与えられていて、お年玉は友達の半額程度で、クリスマスにサンタなんぞの赤服爺さんは来ない。

 

とてもじゃないが幸せになってると思えない

自分の勝手な思い込みかもしれないが、宗教というのは個々人がより幸せになるためにやっているものだとおもう。自分自身はなにかに信仰を行っても幸せになるとは思っていない。他人がなにをしてようが迷惑をかけなければ、それが幸せにつながるならとても良いことだと思う。

親をみていて思うことは創価学会に入って幸せになっているように思えないことである。創価学会に入る以前を知らないのだが、創価学会によるストレスは存在するように感じる。ほぼボランティアのような新聞配達やら集金をやっている姿はとてもじゃないが楽しそうに見えない。本当にはたから見ていて大変そうである。本人曰く「他の人のためになれるなら」精神が強いらしい。本当にそうだろうか。自分自身が幸せじゃないのに他人を幸せにできるのだろうか。

例えば庶民が実費で10万円のフランス料理を食べにいったら不味いとは大抵の人は言えないと思う。仮に不味いなんていった日には10万円の後悔しか残らないからである。この例のようなイメージで、数十年乗っている船である創価学会を無意識下で肯定せざるを得ないのではないだろうか。

 

政治を知らない主婦

 

創価学会員の一部の主婦は政治をまったく知らない。こんな実話がある。2012年に最高裁裁判官の国民審査が選挙と同時に行われた。とある二人の主婦は山本さんに×を書けと選管に言われて×を書いた。選管はおそらく「辞めさせたいと思う裁判官に×印を書いてください」といったはずである。こんな聞き間違いでしかもその聞き間違いで×を書くなんてあってはならないことだとおもう。そんな聞き間違いで「そうですか山本さんに×っと」と書くのは政治意識が皆無といってもしょうがない。この話はその主婦と同氏である母から聞いたので信憑性は高い。創価学会員の友達ではなく同氏と表現するらしい。

こんな話をきいたら創価学会員だから脳死公明党議員の名前を書いているとしか思えない。

 

親の人生を否定しなくない

母親の人生の多くは創価学会に注がれているといっても過言ではない。仮に創価学会に注がれるエネルギーが外国語学習に向いていたら、いまごろ母はマルチリンガルだろう。

このエネルギーを近くから見ていたからこそあまり親に対して自分の創価学会像についてあまり言えない。親の人生を否定するような気がするからだ。実は兄は高校生から大学生ぐらいまで創価学会についてかなりの知識をつけ、親と話していた。その話の内容は結局平行線になる。そこから、なんともどうしようもない感を学習してしまった。

 

自分自身に思い込みがついてる

創価学会公明党をかなりプッシュしている。信仰のある創価学会員の100%は公明党に投票するといっても過言ではない。また逆に創価学会共産党を非常に嫌っている。

自分は高校生ごろまで政治にまったく興味がなく、知識といったら社会の授業となんとなくみるニュースだけであった。しかし、幼い頃に親から学習したイメージに共産党は悪いやつらだということがある。公明党共産党の活動内容がまったく知識がないのに、公明党は良いやつで共産党は悪いやつのような印象がその当時あった。

現在に至り公明党共産党の実態についてある程度知識が付き、正しい認識が取れてきたように感じる。

 

信仰の強さは人によって違う

創価学会員でも人によってかなり信仰の強さが違う気がする。会合に毎回出席する人しない人、聖教新聞の支払いをため込む人、電話で連絡が取れない人など様々だ。会合だって主婦で暇つぶしに来てる感が否めないひとが多い。

おそらく多くの主婦たちは会合によって人と話すのが楽しいから会合に来る。また地域に根差した活動をしているためやめるのが難しいことも考えられる。逆に創価学会の思想等に感銘を受け信仰している人もいる。

 

少年部や学生部がめんどくさすぎる

創価学会には少年部や学生部といったものがある。簡単にいうと創価学会員の年齢層による分類のことある。婦人部(おばさん層)やら青年部(おじさん)といったものもある。

少年部はその名と通りおそらく小中高校生までの分類のことであると思う(厳密な境界線は知らないが)。学生部はおそらく大学生の分類である。

創価学会では少年部+青年部数名の集まりが定期的にある。自分が小中学生まではよくわからず行っていた。創価学会について話を聞くだけでお菓子が貰えるようなイベントだと思っていた(母曰く青年部のポケットマネーで買ったお菓子詰め合わせ)。自分が高校生になり、自分との創価学会の活動の会わなさに気づきその集まりを部活だとかで断るようになった。しかし奴らは家に来るのである。急に親から呼ばれると玄関に奴らはいる。最初は学校はどうだとか、勉強はどうだとか聞いてくる。最終的には何月何日にその集まりがあるから来ないかみたいな内容である。これが非常にめんどくさい。簡単にいうとNHKの受信料の支払いの促しにくるレベルのめんどくささである。

ある日また奴らが来た時にあからさまに嫌そうな態度をとったことがある。勧誘の仕方が心理学上のテクニックをよく使っていてうまいだとか、よくお金ももらってないのに熱心に勧誘ができるなとかいったことを話した記憶がある。また集まりの日は忙しいだとか、今後はかなり忙しくて来ても断ることになるといったことも話した。それ以降奴らは来なくなった。

 

オカルト感がある場所はやっぱりある

いつだかの聖教新聞(創価学会の新聞のようなもの)にこんな記事があった。

内容は「南無妙法蓮華経(いわゆるお経)を聞かせると雪の結晶が綺麗に出来上がる」といったものだ。昔のことなのであまり記憶にないが、この記事が確実にあったことは鮮明に覚えている。なぜなら新聞の記事に綺麗な雪の結晶の写真があったからだ。

おそらくお経を聞かせて雪の結晶が綺麗に出来上がる原因は音の周波数などがちょうど結晶生成にちょうどよかったからなのではないだろうか。記事内容が虚偽であろうが真実であろうが、この記事内容は客観的にみるとそれがどうしたといった印象がある。表現が難しく、あえて言えばオカルトようなイメージがある。

簡単に野菜に音楽を聞かせると育つといったアレに近い。

 

胡散臭い成功体験みたいなやつ

小さいころは会合(定期的な集会)に参加することがたびたびあった。その中で今覚えばとても胡散臭い話がある。数百人規模が集まる場所で司会者のような人がある人の体験談を読み上げるのだ。内容は以下のような内容である。

  1. 子供が難病にかかる。
  2. 主婦である私は心境的にとてもつらい。
  3. 友達から創価学会を進められ入会。
  4. お題目(お経のようなもの)を毎日するようになった。
  5. 子供の難病が良くなった。

 

なんとも胡散臭い内容である。これに似た体験談話は数回聞いた記憶がある。

プラシーボ効果のようなものなのかはたまた子供の生命力が強いのか知らないが創価学会は関係ないと思う。進研ゼミを受講すると部活も成功して彼女もできて一緒の大学に行けるといったアレである。

 

さいごに

もし家族や友達なら特定できるレベルの内容は盛り込んだつもりです。もし見ていたなら見なかったことにしてください。ある人の考えや信仰を否定することと、その人を嫌悪することは違っていることを忘れないでください。